2015年5月3日日曜日

ジョン・ウェルウッド

同情の文字どうりの意味は痛みを共にすること
虚飾の取り去った心はほかのひとの痛みをわがことのように感ずる。

2015年5月1日金曜日

サミュエル・テイラー・コールリッチ

人生の幸せは
ごく小さなものから成り立っている

とっさのキス、笑顔
やさしいまなざし
冗談に紛らした讃美

その他、数えきれない
楽しい思いと感情から成り立っている。

2015年4月30日木曜日

ビヴァリー・シルズ

私は落ち着きと、新たな円熟を見出した。

自分がほかのひとより
すぐれているとか強いとか感じているわけではない

しかし他から愛されているかどうかは
もはや重要ではなくなっている。

もっと重要なのはわたしが愛しているということだ

そのように感じることで人生は方向を変えて、
生きることが与える行為となった。

2015年4月29日水曜日

効率

今勤務している施設にキッチンペーパーがなくて困ってた。

食事に使用されている冷凍魚を解凍した際に発生する、
ドリップした水分を吸収出来なくてとっても困ってた。

と言う訳で、ホーム長にお願いして購入してもらった。
まではよかった。

キッチンに新しく置かれたBOX入りのキッチンペーパー。
肉汁などを吸収。と、箱には書かれているもの。

けれど残念なことにそのキッチンペーパーは、
ハンドペーパーとして手ふきに使っている輩がいるよう。

だからスーパー消耗が早い。

なので私は、ホーム長に提案した。
「箱形を辞めてロールタイプを購入して下さい」と。

「なんで?」と聞かれた。

私は答えた。
「手ふきに使ってる人がいるから消耗速度が異常に早いです。
だからロール型に変えるのが良いと思います。」

ホーム長は、
「箱に書いてあるじゃない。業務連絡で流しておいて」と私に言った。

私は「分かりました」と言ったが書く気はない。


なぜか。

1、入ったばっかりの新人が業務連絡に書き込みすると言う行為が、
誤解を生み、嫌われやすいから書きたくない。

2、箱に書いてあるのに分からずに手ふきにする人が、
業務連絡を読んで理解できる知能レベルがあるとは思えない。

3、見た目を変えるだけで使用間違いが確実に無くなるのに、
ロールに変えて欲しいと言う私の発言の根拠をホーム長がきかなかったから。

4、バカ相手に時間を割くくらいなら、利用者を知りたい。
同じ給料で働いてるなら注意したりされたりする上下関係はいらないと思うから。

非常に効率。
その一言だったから。

2015年4月25日土曜日

私にとっての世界の捉え方。

私が苦しみや悲しみに出会うのは何故だろうか。
それは私がそこに拘ったり囚われたりするから。

全ては私の脳が作りだしていること。


私は人の悪口や陰口を言うのが嫌いで、
自分の意見を押し付けて「こうあるべきでしょう?」と人を非難するのも嫌いだ。

けれど、不愉快だったこと出来るだけ事実のままに人に言う事や、
本人に対して正論を話して指摘する事は沢山ある。

けれど出来るだけ「~と、思うけど、それでいいの?」と聞きたいと思っている。
100%出来ているとは言わない、でもそうありたいと日々思っている。


昨日とある人に言われた。
「愚痴を言ったり非難したりして、気持ちがすっきりするなら好きなだけすれば?
 頭がいい人は人を見下してさげすむのが好きだから。」と。

私は答えた。
「半年の付き合いの結果、私がクズ女だと思うならそれが貴方にとっての私でしょう」と。

彼の訴えを聞いて私は思う。
彼は私の何を見て半年の時間を過ごしてきたのだろうか。

彼が私に対して怒りをぶつけている内容は全て、
私ではない誰か他の人一般的な女性の考え方の話ばかりで、
「誰と話してるの?」と、常に思う。

すると彼は言う「そう言われても仕方ないと思っているから」って。


全てのモノは形を変える。
形無いモノはそれ以上に変わりやすく消えやすい。

愛情も友情もそう。

有ると思えばある。
無いと思えばない。

自分自身で思い込むことで、
他人の気持ちなんて消し去ることも作り出すことも可能になる。

だから大切に有ると思って守らなければならないものがあり、
全てのものが存在し続ける為には、
ありのままをありのままに見定める勇気が必要になる。


人生を楽に生きたいと考えるなら、
大切なものやこだわりは作らないのが一番。

けれど、それでは生きている事をつまらなくさせる。

喜びや幸せや達成感を失うから。


だから私は、全ての有るモノの形を考えず、ふんわりと漂うモノとして受け止めたい。
先入観や思い込みを持たないと言うと具体的な話になるのかな。

私が先入観や思い込みをもっていると、それ自体が人との争いになる。
だから要らない。

だって、時にそれらは、私でない人の力によって私の前に鮮明に形をあらわすから。

それがそんな形であれ、良い事が起きているなら私はそれを見て微笑みたい。
もしくは、それが悲しい形なら、私がひっそりと形をぼかして薄くしてあげたい。


それは私の介護感にも通じる。

排泄介助が汚いと言う人がいるなら、
私はそんなことないよと鼻歌交じりに介助をする。

「疲れたー帰りたい」ってグダグダしてる介護士を、
利用者が微笑みながら頭をなでている風景があるなら、私は微笑む。


もう苦しいのも悲しいのも嫌だ。
だから勇気を持とうと思う。

私はもっと、楽に生きたい。

2015年4月24日金曜日

Sさん笑顔取り戻す。

今日は辛い事があったから、仕事を休んだ。
何日もふさぎこんだり、職場で落ち込んだりしている自分は見せたくないから。

小さな迷惑をかけて済むなら、
大きな迷惑をかける前に人に甘えて改善をする。

これは元旦那が教えてくれた心の余裕の取り方。

とても素敵な人だった。
別れていても私の中で生きている。
彼の存在に感謝。


仕事は仮病を使って休んだ。
そしたら仕事を紹介してくれた友人から写メールが来た。

にっこりとほほ笑むSさんの写真。

そこにはこう添えられていた。

「今日は人が変わったように明るくてよく喋る」
「愛は人を変えるんだな!」って。

嬉しい、本当に嬉しい。

早く元気になって職場に戻りたいと思った。
ありがとうSさんと友人。

私に元気と勇気をくれる人達。
全ての心ある人たちに感謝。

2015年4月23日木曜日

天職

職場の9名の入居者の中で一人だけ、
喋れるのに言葉を発しない人がいる。

その人の名前を仮にSさんとする。

Sさんの入居時の家族の要望の欄には、
「以前は明るい人だった。笑顔を取り戻して欲しい。」と書かれていた。

私は思った、彼女はなぜ言葉を発しないのか。
彼女はもう明るい人ではなくなってしまったのか。

認知症だから、発語が出来ない?
それとも面倒だから話さない?
もしくは、言葉を発する事を自分の意思で辞めている?

認知症の人との関わりの中で、
私が信じて疑わないことが一つだけある。

認知になったからと言って、別人にとって変わる訳ではない。
脳の一部が壊れるのだから、確実に変化はする。
けれど、何かが一部欠けるだけと私は思ってる。

たしかに、認知が進むにつれてその欠けているものは多くなるかもしれない。

けれど、明るい人の根っこの部分は素直な人。
人が産まれ持った時から持っている素直な心を、
高齢者になるまで持ち続けた人がその才能を失う訳がない。

だから私はSさんに時間の間隔をとりつつ、
しつこくない程度に関わるようにしていた。

そして今日、やっとSさんの中に笑顔を取り戻すための鍵を見つけた。

手にゴミを持って、廊下をゆっくりと往復するSさん。
手に持つゴミを渡して欲しいとお願いしても、決して渡してくれなかった。

私は思った、Sさんはきっと認知症になったことで
沢山の事が分からなくなったから、それに傷ついたのかな。
だから話す気持ちを失ってしまったのかな。と。

Sさんに声かけをした。
「どこに行きたいか分かる?」
Sさんは答えた。
「分からない。」

彼女と接する中で、
一言、二言と言葉を発してくれる機会が増えている。

とても優しい人だと思う。

明るい人はなぜ明るいのか、それは人を思い、
人に心地よく過ごして欲しいと思う優しさがあるからだ。

他入居者の部屋に入るSさんに並んでついて行く。

そして他人の部屋の中で、一緒にゴミ箱を見つけ、
「お、ここにゴミ箱あったよ!」と声かけをする。

「ここにそのゴミ捨てちゃおーよ!えいって!(笑」と私が笑うと、
普段無反応なSさんが、元気にゴミをゴミ箱に投げ捨ててくれた。

思わず笑ってしまう、嬉しくて。

Sさんは歩みを進め、他入居者の部屋の中で他人のベッドをじっと見つめている。
「ここで寝ていいのか考えてるの?」と声かけをするとSさんは私をじっと見つめて居た。

「横になる?お部屋行く?」
「私、Sさんのお部屋に連れてってあげられるよ?」と声かけをしたら、
Sさんは自らそっと手を差し出してくれた。

Sさんと手をつなぎ、Sさんの部屋へと向かう。

「横になる?」と聞くとSさんはは無表情に少しだけうなづく。

「じゃ、また後でね!」と居室を出ようとする私、
ドアを閉めようと振り向くと、Sさんが無表情のまま手を振ってくれていた。

嬉しくって心が震える。
手を必死に振り返した私が居た。

そして思う、いつかSさんと会話がしたい!!

この仕事は、私を常にポジティブに変える仕事。最高の天職。