1、私にはなりたい私がある。
他人に認めてもらいたいからではなく、
お天道様の下を堂々と歩いている自信を持ちたい。
だから、私は自分に厳しくする必要があるが、人に優しくする必要はない。
人は人、私は私、それぞれの生き方は自由。
だから、自分と同じ生き方を求めない。
けれどそれは自動的に、人の目には人に優しいという形で捉えられる。
2、私には居なくてはならない人がいる。
それは私の心の一部を構成してくれている人たちで、
ある意味、私自身とも言える人たち。
だから、彼、彼女らには、自分に厳しくある価値観そのままに、
現実を伝え、厳しい言葉を言ってしまう事が良くある。
それが良いか悪いかの判断は、私が決めることではない。
3、楽に生きる。
楽に生きる事は、厳しく生きる事と対になるもの。
楽であればこそ、新たに厳しい事を考え、課し、実行できる。
辛くて大変な時に厳しくされたら人は苦しい。
4、衣食住の充実。
よく食べ、良く寝て、排泄をし、健康である事が全ての基礎。
生きていれば悩みもあるし、体を休める事が出来ない日もある。
楽しくて、面白くて夢中になり、寝たくない日もある。
けれど、健康でなければ悩みは乗り越えられず、
無理をした結果、体を壊せば明日が来ない日が来る。
楽しくて、面白くて夢中になりたくても、健康でなければ出来ない。
5、自分自身の美を意識する。
子供は美しいものを無条件に愛する事ができる。
けれど、大人になった時、その感覚を維持出来ている人は少ない。
大人が美を理解する為に必要な要素は、教養とわずかなお金。
立ち居振る舞い、清潔感、言葉づかい。
自分をどの程度の社会的位置に置きたいのか。
相手を知り、自分を演じ、使い分ける事で、
上流下流問わずの交流が可能となる。
女優となることは、全ての価値観に通じる扉となる。
6、笑顔で過ごす
自分を幸せにする一番簡単な方法は、笑顔で話す事。
「楽しくもないのに笑えない。」と思う事自体が、
自分を幸せにするチャンスを逃す。
書きだしたらきりがない。
7、最後に
思いは言葉になり、言葉は行動になる、
行動は習慣になり、習慣は性格になる。
後に知ったのだが、マザーテレサの言葉に同じ言葉があり、その続きがあった。
性格が運命になると。
今の私は言葉が多すぎる。
話が長いのが私の今の最大の改善点だと言える。
私は今、言葉を行動にし、習慣に変え、性格を作り出す段階にいる。
世の中お金と人は言うけれど、
私にとってお金よりも大切なものは、限りある時間と心身の健康。
私は今、自分の運命を紡いでいる。
「7、最後に」に書かれてあること、「思い→言葉→行動→習慣→性格」。
返信削除これはある意味、怖い指摘ですね。無意識のポケットの中では自分を意識できなくなるから、思いが即、性格になってしまう。そうならないようにするには、とある瞬間に、自分の「意識の立ち位置」を意識できるようになることが必要かもしれませんね。とりもなおさず、強い自分(=強い意識)が勇気をもって「自分に厳しくする」ことになるのでしょう。
自分を他者として意識するのは勇気がいりますよね。その人が見苦しければ、恥ずかしかったり、目を背けたくなるかもしれないこともあるけど、その反対に、美しい姿を見ることもある。どちらに転んでも、無意識のままではそのこと自体に気づけない。
認めるというステップがあれば、自分が思い上がらずにいられたり、その反対につまらない自分を否定しないですむ。軸の上を行ったり来たりしている立ち位置を日常でが意識できれば、ブレを修正できるのかな、、、なんてムシが良すぎるでしょうかw
やーやー兄さん!紆余曲折を経てのコメントありがとう。
削除折角書いてくれていたもコメントが何度も消えてしまって申し訳ないです。
そして、言いたい事を分かってもらえている感たっぷりで嬉しい。
「自分を他者として意識する自分」と、「他人からのみた自分を意識する自分」は全く別物だと私は思っていて、「どう見られたいのか。」ではなく、「どうなりたいか」を私は意識しているのです。
思いあがったり、つまらない自分を否定してしまうのは、自分を人と比べるからだと私は思うのね。
私がなりたい自分になれたら、それが他人からどう見られていても、それこそ私の性格なんです。って自信を持って堂々と言える気がしているのです。